文化価値

屋久島

民俗

屋久島は中央に山岳地帯を抱えるために、集落が海岸沿いに分布している。 
屋久島では、古くから海から山までの豊かな自然を基盤に林業、漁業、農業などを営み、「海に十日、里に十日、山に十日」といわれるような、海・里・前岳・奥岳が一体となった自然観とともに、豊かな自然と人が深く結びつき、自然と親しみ、自然を損なうことなく生活の糧を得る生活が営まれてきた。

トビウオ招きや十五夜綱引きなどの各集落に受け継がれている伝統行事、風習があり、自然を畏れ敬い、自然とともに生きる島人の支えとして集落固有の祭りがある。とくに集落ごとに前岳・奥岳に詣でて海と里の幸を山神に捧げ、豊漁豊作や集落の安寧を祈願する岳参りの行事は、多くの集落で受け継がれている。
旧暦の1月、5月、9月の山の神祭りの日は、祈願や感謝の念から山に入らない風習が島民の間で守られている。

屋久島憲章

平成5(1993)年に、鹿児島県の屋久島環境文化村構想の策定や世界自然遺産登録に先駆けて当時2町が統一した町づくり理念である屋久島憲章を制定している。その前文には「島の自然と環境を私たちの基本的資産として、この資産価値を高めながら、うまく活用して生活の総合的な活動の範囲を拡大し、水準を引き上げていく」という地域づくりの原則を示し、これまで各種施策に取り組んでいる。

水力発電を活かした施策

島の電力のほとんどをCO2を排出しない水力発電で賄われている特徴を活かし、低炭素社会の先進的な地域となるよう「屋久島CO₂フリーの島づくり」を行っており、電気自動車の導入推進などに取り組んでいる。

屋久島環境文化村構想

平成2~4(1990~1992)年、鹿児島県によって屋久島内外の有識者による議論(屋久島環境文化懇談会、地元研究会、マスタープラン研究委員会)から、屋久島固有の自然の中で歴史的に育まれてきた自然と人間のかかわりを「環境文化」と捉え、それを手がかりとして屋久島環境文化村構想を位置づける「屋久島環境文化村マスタープラン」が策定された。
このマスタープランの推進を目的として、平成5(1993)年に鹿児島県と旧上屋久町、旧屋久町の出損により、屋久島環境文化財団が設立された。これらの動きのなかで、平成5(1993)年の世界自然遺産に登録された。平成8(1996)年には「屋久島環境文化村構想」を推進する中核施設として、屋久島環境文化村センター、屋久島環境文化研修センターを県が設置した。

観光利用と環境保全

世界自然遺産登録後、交通アクセスが拡充され、自然とのふれあいを求める観光客が増加した。それに伴い、従来からの山岳部を案内する登山ガイドに加え、自然や文化に触れることで自然や生態系への理解を深めるエコツアーを行うガイド事業者も活躍するようになった。
平成14(2002)年には、観光協会の専門部会にガイド部会が組織され、屋久島町エコツーリズム推進協議会では平成18(2006)年からガイド登録制度を、平成29(2017)年からガイド認定制度を運用し、併せて、屋久島公認ガイド利用推進条例を制定した。
オーバーユースが懸念される山岳部の対策として、「YAKUSHIMAマナーガイド」の作成、「縄文杉荒川登山口車両乗入れ規制」を平成12(2000)年から期間限定で実施している。
自然休養林では、森林環境整備を推進するため、森林管理署が協力金制度を平成5(1993)年からヤクスギランドで、平成8(1996)年より白谷雲水峡で導入し、現在は地元関係機関を構成員とする「屋久島レクリエーションの森保護管理協議会」が協力金の収受ならびに同地域の保護管理を行っている。

口永良部島

口永良部島へは、屋久島から1日1往復の町営船が運航している。古岳火口及び登山道沿いには昭和30年代までに行われた硫黄の採掘跡が残されており、鉱業も行われていたことが確認されている。
数十年おきに噴火を繰り返す火山によって島民の居住や営みに大きな変化が求められるが、屋久島と同様に山と海に恵みを得て、硫黄鉱業、ガジュツ生産、パルプ材生産から、肉用牛の生産や温泉の利用、登山や豊かなサンゴ群集の海でのエコツアーなどへ産業形態を変化させながら、独自の自然環境を活かした産業を持続している。
平成27年5月29日に発生した新岳の噴火では、過去の噴火の歴史が教訓となり人身被害は無かった。現在口永良部島島民は既に避難先等から帰島しており、自立支援として「火山と共生する循環型社会のモデルづくり」にユネスコエコパークを活用したい。